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東日本大震災:大津波の被害

津波被害:JR気仙沼線

気仙沼から南三陸町を経由し前谷地に至る路線。
全線開業は1977年と新しく、最後に開業した国鉄ローカル線である。

南三陸町内はもともと津波対策で高い位置に線路が敷かれていたが、
想定を遙かに超える津波により全て洗い流されていた。

鉄道公団による重厚で近代的な構造物も大津波の前には無力であり、
無残に破壊され、壮大なガレキと化した。



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気仙沼線
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@南気仙沼駅周辺


南気仙沼駅。周囲には油が充満し異臭に満ちていた。
2011/6


駅舎入り口。「ようこそ気仙沼へ」の横断幕が虚しい。
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ホームに上がる。ものすごい量のガレキが堆積している。
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ホーム先端から前谷地方面を見る。辺りは油の池になっていた。
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気仙沼湾に注ぐ大川橋梁。橋桁は流失していた。
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A気仙沼市松崎地区


このあたりまでは建設が古く、線路は地平を走っていた。
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ガレキに埋めつくされた最知駅ホーム。
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路盤に住宅が原形を保ったまま流れ着いていた。
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小川にかかる小さな橋は、橋台部分のみ残っていた。
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B本吉町大谷地区


高い位置に作られた橋も、津波に軽々と越えられ流失した。
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公団新線特有の重厚なPC橋桁も流され、畑に転がっていた。
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折れた橋脚。鉄筋が入っていない。手抜き工事である。
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大谷海岸駅ホーム。毎年海水浴客で賑わっていた。
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C本吉町小金沢地区


谷間にかかる橋はことごとく破壊されていた。
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橋台の下にはPC橋桁が落下しているのが見える。
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ひっくり返ったPC橋脚。津波の威力の凄まじさを物語る。
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小金沢駅。駅舎は流失は免れたものの半壊していた。
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小金沢駅ホーム。地震の影響なのか、縁石が崩壊していた。
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D津谷川橋梁


津谷川河口部を約1000mの長いPC橋で渡っていた区間。
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高台から見下ろす。ところどころ寸断されているのが分かる。
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津谷川堤防から線路を見る。橋桁が無くなっている。
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コンクリート橋脚のみ残り、斜めに傾いていた。
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陸前小泉駅のあった所。駅・ホームは跡型もなくなっていた。
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E陸前港駅周辺


トンネルで内陸部分へ入った所だが、津波が来襲していた。
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「津波浸水想定区域」の道路看板。今回は想定を越えたようだ。
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F南三陸町歌津地区


壊滅した歌津集落から、10mの高台の歌津駅を眺める。
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高台の駅に上ってみる。ここを越えた津波は線路を流した。
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街を見下ろす。南三陸町は、最大15mの津波に見舞われた。
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G清水浜駅周辺


清水浜駅を見る。集落もろとも、線路の路盤が削り取られている。
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公団新線の特徴的なロックフィル式築堤も、無残にえぐられた。
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H南三陸町志津川地区


南三陸町の中心部を見下ろす。右奥が志津川駅。
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志津川駅跡地。人口17000人のうち死者・不明者は1200人。
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ホームに上る。左奥には志津川病院と骨組だけの防災庁舎。
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I陸前戸倉駅周辺


線路は内陸へ続くが、川を遡上した津波で築堤は崩壊。
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陸前戸倉駅。ホームへの階段だけ残っているのが見える。
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