東日本大震災:大津波の被害
津波被害:JR山田線
盛岡から宮古を経由し、釜石に至るJR山田線。
宮古-釜石間は海岸沿いを走る風光明美な路線であった。
地震は震度5弱であり被害は少なかったものの、
大津波により路盤の多くが沿線の町々と共に壊滅的被害を被った。
震災から3ヶ月経過してもガレキ撤去すらままならず、復旧は遠い。
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@宮古市金浜地区
宮古湾の奥地。山沿いの築堤も波をかぶっていた。
2011/6
築堤の下は、ディーラーやGSの看板だけが残っていた。
2011/6
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A津軽石駅周辺
防潮堤を乗り越えた津波は、路盤を洗い流した。
2011/6
この辺りは津波が低かったせいか、建物等は多くが残されていた。
2011/6
津軽石駅ホーム。ガレキは既に撤去されていた。
2011/6
流された列車。地震発生時、宮古行き普通が停車中だった。
2011/6
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B陸中山田駅周辺
人口18,000の山田町の中心。陸中山田駅を眺める。
2011/6
大津波の後、火災に見舞われたとみられ、焼け落ちていた。
2011/6
駅内部を見る。損傷がひどく、事務所と待合室の境目も分からない。
2011/6
焼けただれた機械。よく見ると自動券売機のようである。
2011/6
改札口からホームに出る。足の踏み場もないほどガレキが散乱。
2011/6
シンボルだった跨線橋の絵は、焼けずに残っていた。
2011/6
山田町では死者・行方不明者800人を超える被害が発生した。
2011/6
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C織笠川橋梁
織笠川にかかるガーター橋は、川を遡上した津波で流失。
2011/6
橋台を見る。防潮堤も崩壊していた。奥のコンクリートは山田道路。
2011/6
崩壊した防潮堤の奥に、流失したガーターが見られる。
2011/6
橋台から道床に上ってみる。線路が押し流されていた。
2011/6
流失した織笠駅。左奥のホームへ続く階段のみ面影を残す。
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D波板川橋梁
波板開眼駅。ホームは高台だが津波に洗われていた。
2011/6
波板川橋梁は橋脚のみ残し、ガーターが流失していた。
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E大槌川橋梁
約400mの長い橋梁。道路の交差部分に倒れた橋脚が横たわる。
2011/6
ガレキの町の中に橋脚・ガーターがゴロゴロ転がっていた。
2011/6
大槌町は、震災から3ヶ月経ってもガレキ撤去が手付かずだった。
2011/6
大槌川を渡る部分。地盤沈下のせいか、橋脚の高さが合わない。
2011/6
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F大槌駅周辺
大槌駅。駅舎は流失し、ホームのみガレキの中に残っていた。
2011/6
ホームに上がる。辺りには磯の香りと腐敗臭がたちこめ、鼻をつく。
2011/6
2番ホームには、跨線橋の階段部分のみ半分残っていた。
2011/6
駅南部の立体交差ガード。海水で冠水しており立ち入り不能。
2011/6
小槌川橋梁。コンクリート橋脚がポッキリ折れていた。
2011/6
折れた橋脚に近付いて見てみると、鉄筋が入っていない。
2011/6
人口15,000だった大槌町。うち約1800人が死亡・行方不明となっている。
2011/6
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G鵜住居駅周辺
ここからは釜石市となるが、ホームのガレキは手付かずのまま。
2011/6
ひっくり返った線路。被害がひどく道床の位置すら把握困難。
2011/6
この辺りはのどかな田園風景が広がっていたが、一変した。
2011/6
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