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東日本大震災:大津波の被害

津波被害:三陸鉄道 北リアス線

旧国鉄線と鉄道公団の建設区間を引き継ぎ、1984年開業した北リアス線。
昭和後期に建設された新線であり大部分は長大トンネルとなっており、
海岸を走る区間は駅周辺のごく一部に限られる。

そのため被害は局所的ではあったものの、
海岸沿いの区間はことごとく破壊された。
取材時点で北部の久慈-陸中野田と南部の宮古-小本は運転再開し、
復興支援列車として臨時ダイヤで運転していたが、
中間の区間は甚大被害を被っており、復旧の目処は立っていなかった。



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北リアス線
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@野田村中心部


陸中野田駅から少し宮古方面へ進んだ区間。津波で洗い流されている。
2011/6


道床は線路と共に完全に流失していた。奥の水門だけが虚しくそびえ立つ。
2011/6


道路の跨線橋から道床を見下ろす。隣にはガレキの山。
2011/6


野田村には高さ8mの津波が来襲、中心部を壊滅させた。
2011/6


2年前の同地点の写真。奥には広大な防潮林が広がっていた。
2009/9


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A野田村米田地区


谷間を築堤で抜けていた区間。辺りにはガレキが散乱。
2011/6


築堤上に上る。コンクリート部分を除き、道床が削られていた。
2011/6


津波は築堤を軽々と越え、山側まで壊滅させていた。
2011/6


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B田野畑駅周辺


田野畑村平井賀地区。ガレキは撤去され更地と化していた。
2011/6


辛うじて被害を免れた田野畑駅から町を見下ろす。
2011/6


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C田野畑海岸沿い


海岸沿いの谷間を渡る鉄橋。完全に破壊されていた。
2011/6


反対側から見る。トンネルを出てすぐ、道床が失われていた。
2011/6


津波に流され、線路が山側へ押し曲げられていた。
2011/6


少し上流側に、ひしゃげた線路が横たわっていた。
2011/6


頑丈なロックフィルして築堤もえぐり取られていた。
2011/6


トンネル入口から。災禍とは対照的な、美しい海が見える。
2011/6


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D島越駅周辺


島越地区には、崩れ落ちた高架橋が残っていた。
2011/6


頑強なコンクリート橋脚も、根こそぎ倒されていた。
2011/6


高架橋に近付いてみる。まるで地獄絵図のような風景。
2011/6


辛うじて倒壊を免れた部分も、甚大な損傷を受けていた。
2011/6


コンクリートガーターが、集落のかなり奥まで流されていた。。
2011/6


島越駅を見る。駅舎と高架のホームは流失し何も残っていない。
2011/6


唯一残された石碑モニュメント。海に直角なため助かったとみられる。
2011/6


線路から少し離れた部分に、駅部分の橋桁の残骸を発見。
2011/6


軌道に上ってみる。高台であり、ここに避難た人もいただろうか。
2011/6


重厚なコンクリートがゴロゴロと転がる。凄まじい波の威力を痛感。
2011/6


更地と化した島越集落を見下ろす。本当に何も残っていない。
2011/6


在りし日の風景。上の写真と見比べると何とも言えない気持ちに。
2009.9


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E田老町中心部


田老町中心部。奥に北リアス線の高架が見える。
2011/6


田老町自慢だった10mの堤防を見る。今回の大津波には負けた。
2011/6


この区間は町は壊滅も線路は助かり、復興支援列車が運行していた。
2011/6


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