北陸本線旧線跡散策


                          赤ラインの道路が旧北陸本線跡。

米原から直江津まで353.8kmを結ぶJR北陸本線。その重要性から
電化、複線化に伴い、幾度もの線路付け替えが実施された。
そのうち、最大の難所でもあった木ノ芽峠。
1963年、当時日本最長となる北陸トンネル貫通により、
急勾配とスイッチバックにより山を越えていた旧線は廃止された。
蒸気機関車では過酷だった旧線跡は現在は道路に転用されており、
車でそのまま乗り入れることが出来る。
ここでは、2005年5月に訪問、今庄→敦賀のルートで走破したレポートを報告する。

@地点[現存線から分かれる]

現JR南今庄駅までは現存線とほぼ並行。そこから敦賀へ向け、
現北陸本線は南南西方向へ一直線に貫くが、旧線は山を迂回すべく、
真西へ大きく舵をとる。写真の奥がその分かれ目。
道路は2車線の高規格である。本線には、珍しい489系ボンネット車が通過。

A地点[北陸道と交差]

しばらくは、なだらかな田園地帯が続く。交差するのは北陸自動車道。

B地点[大桐駅跡]

最初の駅「大桐」にはホーム跡が残され、記念の駅名版モニュメントがある。

C地点[大桐集落の築堤]

大桐の集落をのぞむ。集落の中を築堤で抜けていく道路は異様で、
いかにも鉄道線転用の道路であることをうかがわせる。

D地点[流用ガーター橋]

鉄橋部分は、鉄道用のガーターの上にコンクリートを乗せたものであり、
大変珍しい。このような橋は他にも付近に多数ある。

E地点[大カーブ]

大カーブをのぞむ。このあたりから勾配は急になり、補機付きのSLが
フルパワーで煙をあげ上る様子が目に浮かぶ。
但し鉄道には過酷でも道路としてはかなりの高規格。

F地点[大桐信号場]

スノーシェッドが現れる。ここから山中トンネルの入口までの区間、
長大な大桐信号場が存在し、遺構が残る。
この写真のはるかほぼ右真上がG地点

G地点[大桐信号場(引込み線)]

F地点のほぼ真上に、スイッチバック式引込み線の先端がある。
長大編成の特急列車・貨物列車が多数待避していた面影を残す。


H地点[山中トンネル]

延長1kmで、旧線中もっとも長い山中トンネルに入る。
単線の幅の為、車は行違い不可能だが、完全に一直線のため、
交互通行用の信号機などは無い。

なお、左側の先にもトンネルがあるが、これはG地点より続く
大桐信号場の反対側の先端。トンネルは10m程で終わっている。

I地点[トンネル連続区間]

ここから先はトンネル連続区間に入る。それぞれの距離は短いものの
中でカーブしており、入口に交互通行用の信号機がある。
もっとも、対向車が来る事は稀である。


J地点[旧杉津駅付近からの風景]

トンネル連続区間が終わり、あたりが開けてくると杉津(すいづ)駅跡付近。
日本海の景色を一望できる。
もっとも、この付近は北陸自動車道建設によって大幅に地形改良
されており、鉄道の築堤や橋梁は壊されてしまいあまり残っていない。
背後には北陸自動車道の杉津PAがあり、展望台も設置されている。
なお、杉津の集落はここからかなり山を下った海沿いにある。

K地点[照明の無いトンネル]

ここのトンネルだけ何故か照明が無い。内部はカーブしており真っ暗。
所々水滴が滴り、不気味な様相を醸し出している。

L地点[最後のトンネル]

重厚なレンガ造りのポータル。ここを抜けると、葉原の集落に出る。
その先は国道476号線と合流し、道路拡幅等改良工事が進んでおり、
廃線跡の面影はあまり見られなくなっている。
2004年3月の木ノ芽峠トンネル開通により国道365号線とつながると、
国道8号線のバイパスとして交通量も格段に増え、
それに伴い近代化工事も急速に進んだ。
そのため、残っていたトンネル等も新設道路に付け替えられてしまった。
現在、旧北陸本線の遺構は、ここまでの大桐-葉原間に
凝縮されていると言って良いだろう。


TOPへ