−13日目(9/5)−

 13日目は、移動距離は短い。そのかわりに一駅あたりの滞在時間が長い日でもある。朝6:31に北上を出た私は、まずは東北本線で花巻へ行き、そこから釜石線の釜石行きディーゼルカーに乗り換えた。ただ早起きの疲れがあり、早速またもや爆睡モード遠野あたりまで眠っていた。


 遠野から先は絶景区間になるため、横たわって寝ていた私も頑張って起きる。ぐねぐねと線路を曲げながら高低差を稼ぐ風景は圧巻である。そして9:10、私は終点釜石の一駅手前である小佐野で下車した。


 小佐野では2時間近く滞在時間がある。この駅にはみどりの窓口があるため、ここで帰りの切符などを購入した。そのほか駅近くのスーパーで爪切りを買ったりしたが、町の規模自体は大したことなく、散策も飽きて暇を持て余した。


 小佐野からは、釜石まで急行「陸中」に乗る。とは言っても一駅で終点である。あーつまんない。急行料金は300円、車内にはリクライニングシートが並び快適である。三陸海岸が見え、列車はまもなく終点釜石に到着した。


 釜石からは普通列車で陸中山田へ向かう。ここから列車は険しいリアス式海岸の地形を走る。釜石を発車すると、列車は半島部分を内陸に進み、岬を短いトンネルで抜ける。すると眼下に入江と集落が見えてきて、駅に停車。というパターンを4回繰り返す。リアス地形を明確に体感することができ、じつに面白い。これは、地図を見てもよく分かる。吉里吉里を出たあたりから列車は内陸部を中心に走るようになり、12:04に陸中山田に到着、私は下車した。


 私は空腹で死にそうだった。という訳で食堂を探す。だが、いっこうに見つからない。陸中山田こんなに廃れた町なのか!さんざん歩き回ったあげく、やっと一軒の仕出し弁当屋を見つけた。そしてあまりの空腹で発狂しそうだった私は、カツ丼とカキフライ弁当の2つを頼んでしまう。だが、これがすべての間違いであった。駅に戻って弁当を食べ始めたものの、とうてい2人前も食べきれるはずなく、カキフライ弁当は半分以上も残ってしまった。仕方がないので、持ち歩いて少しずつ食べることにする。


 そんな訳で陸中山田を散策したあと、14時発の列車で宮古へ向かった。陸中山田宮古間は海側より山間部を走る山越えの区間である。だがキハ110は難なく越え、14:36に宮古に到着した。宮古からは、山田線盛岡方面の岩泉線直通岩泉行きに乗った。国鉄標準色のキハ52であった。なんか盛岡支社はやけに国鉄色塗り替えを頑張ってるみたいだが、風情的にもイメージ的にも劣る古臭い色にわざわざ塗り替えるのはいかがなものか。犬懐古主義のマニアを喜ばせるだけで、とても良い施策とは思えない。


 私は茂市で下車し、今回は岩泉線には入らない。茂市からは次の列車で盛岡へ向かった。極端な山間部過疎地帯を走り、ケータイの電波すら届かない。まじヤバイ。


 盛岡からは田沢湖線大曲行き普通列車で田沢湖へ向かった。田沢湖からはそのまま「こまち」で折り返す。片道切符の経路は田沢湖線経由になっているのだが、私は北上線に乗るため、田沢湖横手間は乗らない(本来なら片道切符の経路を北上線経由にしたいところだが、そうすると北上駅で経路が重複してしまう)。

「こまち」で盛岡に戻った私は、40分後に出る東京行き最終「やまびこ」に乗車(「こまち」は仙台までノンストップなため)、北上へ行き、昨日泊まった「北上南部ホテル」に連泊した。